LCC&レンタカーの旅(高野山奥之院)⑧

昼食後、車を移動して一の橋のたもとにある民間駐車場に向かった。そこは10台くらいしか駐車できないので直ぐに満車になるようだ。我々が行ったときは丁度最後の1台分空きがあったが、我々がそこに駐車すると係員が満車の看板を道路に出していた。一の橋案内所という街の観光案内がメイン業務で駐車場の管理も兼ねているようだ。驚いたのが、別棟になっているトイレであるが、内部が総檜貼りになっていて何とも清々しいのである。トイレ独特の嫌なにおいが全くないのである。小便器は水を流さないで洗浄されるというタイプのものを使っているので、アンモニア臭がしてもおかしく無いのであるが、檜の清々しい香りが漂っている。うちの部屋にもどこかに早速檜の板を張ろうかと考えたくらいである。案内所で駐車場入庫の手続きをして、奥之院までの徒歩にかかる時間を訪ねると片道40分との事である。尚、駐車場は4時半で閉めるのでその前に戻って来て貰わないといけないと言われた。現在2時半なので早足で歩いた方が良い。途中にある偉人達のお墓の見学をしている時間は無さそうだ。メインである奥之院での参拝に時間を割いた方が有意義である。早速、お遍路の白装束を上に羽織り袈裟を付けて金剛杖を持つ。頭陀袋を斜めにかけ中身の数珠、蝋燭、線香、ライター、御朱印帳、納め札を確認した。一昨年の四国八十八ヶ所お遍路廻りの思い出が蘇る。今回の奥之院お礼参りがお遍路の最後の仕上げである。
一の橋手前の手水舎で体を清め、橋の手前で一礼する。お礼参りの時は、弘法大師が一の橋までお迎えに来てくださり、奥之院まで同行してくださるという想定なのだそうだ。有り難い気持ちとともに足を踏み入れた。ここからは早足で先を急ぐ。参道脇には所狭しとお墓が並んでおり、どれも由緒ある家のお墓なのだろうが、どの墓石も苔むしている。ご子孫の方々は管理をしていないのだろうか。また、大企業の名前の入ったお墓も企業の宣伝をするかの如く沢山並んでいる。新明和工業、クボタ、パナソニックなど、立派なお墓で目を引くので、広告塔の役割も大きいのだろう。石畳の参道は、緩やかにアップダウンがありつつ少しづつ登って行く。中の橋まで来ると歩いている参拝客の数が増えてくる。奥之院駐車場から歩いてくる人達だ。外人客も多く、ここからは観光の雰囲気になる。高野山の街自体が、どちらかと言えば外国人観光客の方が多いのではないかという印象だ。奥之院の聖地と言われるエリアの敷居となる御廟橋が見えてきた。左手には織田信長公墓の看板がある。一目見ておきたい気持ちもあったが、今日は止めにした。橋の手前右手に御供所があり手水舎があるので再度お清めをする。一礼をして、御廟橋を渡る時、石板の数を数えながら渡ったが36枚であった。観光客の団体にはガイドがついて案内をしている。橋の手前で携帯に電話が入り通話を始めた人がいて、暫くその場で留まっていたのであるが、仲間の団体が先に進んでしまったので、遂に電話をしながら御廟橋を渡って奥之院に入ってきてしまった。不謹慎であるが、係員もいないので野放しである。ルールを守らない人がいると聖地の雰囲気も台無しで、猥雑な観光地と化してしまう。非常に残念であった。

燈籠堂でお経を上げて、窓口の僧侶に金剛杖の収め場所について尋ねてみた。実は、一昨年四国八十八ヶ所のお遍路を結願した時に八十八番所の大窪寺で金剛杖を収めるものだと思っていたのであるが、納経所でそれを申し出ると「高野山にお礼参りに行かないんですか?行かないならここで納めてもいいけど、行かれるのなら高野山まで持って行って収めた方がいいですよ」と言われたため、この日まで保管していたのである。ところがその僧侶がおっしゃるには、「金剛杖はここで収めるものではありません。お大師様の分身ですので、大事に保管していただき、お亡くなりになった時に金剛杖を持って三途の川を渡る為、お棺に入れてあげてください」という事であった。今回の旅の重要な目的の一つであった金剛杖を収めるという行事が、そもそも間違いであったという事が衝撃で一瞬途方に暮れたが、奥之院の僧侶にその様に言われれば、素直に従うしかない。「他ではこう言っていました」と言っても、ここが大元なのであるから間違いないのだろう。お遍路の作法については、諸説あり、どれを信じて良いのか良くわからない。この後、御供所で御朱印をいただく時も「本来は、お遍路は高野山から始めて高野山に戻ってくるものなんですよ。一番から始めて八十八番を達成した後、一番に戻る人がいますが、それは必要ないです」という説明を受けた。四国の人達とは意見が違うのである。

その後、燈籠堂の裏手に回り、弘法大師御廟の前で再度お経を唱えた。大きな杉に囲まれ神聖な空気が漂う場所であるが、何せ参拝者が多い。我々のお経が途中まで行った所で、お寺の僧侶を団長とした20人くらいの団体さんがやってきて後ろを取り囲み、僧侶の良く通る大きい声で般若心経を唱えだした。我々はそれまで周りに配慮して小さめの声でお経を唱えていたのであるが、耳に入ってくる般若心経にペースを乱されがちになりそうなので、それを打ち消すように大きな声を出して後半のお経を唱えた。お経の後写真を撮るわけにはいかないので、暫く弘法大師御廟を眺めて、目に焼き付けるようにした。その後燈籠堂の地下を見学して一周し、御廟橋へ戻った。御廟橋の袂には水向地蔵が10数体並んでいて、参拝客がこぞって水をかけてお祈りしている。先祖の供養になるそうなので、左から順に水をかけてお祈りした。その後、御朱印をいただき、駐車場への帰途につく。時間的に金剛峯寺の参拝も間に合いそうなので、復路も早足で戻った。一の橋で見送りをいただいたという想定の弘法大師にお礼を言って、駐車場に戻り、白装束を脱ぐとお遍路が完結したという達成感があった。これで最後の1ピースが埋まったという感じである。その次に金剛峯寺の御朱印もいただくのであるが、これはオマケという感覚である。

続きはこちら「金剛峯寺」

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